2008年05月

1 準備

【写真左】
手に持つは、男の常備品コンドーム。 これからお楽しみではない。明日の準備だ。

【写真右】
ハンティングライフルの銃口にコンドームを被せる。銃身に塵、水などの異物が入った状態で撃つと、銃は爆発し射手は死傷する危険性があるのだ。
コンドームは必ずどんな時も付けよう!!

2 出猟

早朝4時。宿泊先のモーテルを出る。
ライフルは後部カーゴルームに照準装置のスコープが壊れないようにそっと乗せる。
ライフルが、狩猟の道具である、森林で自分を守る武器となる。海に出る時に救命胴衣と同じ。

3 徒歩移動開始

車で二時間移動して、大森林の中で徒歩で前進開始。
朝は、元気一杯、夢一杯。まさか、20-30km歩かされるとは思いもしない。
背後の緑色と比較するとオレンジ色の上着は目立つ。他のハンターからの誤射を避けるため。 まず、林道を歩き、エルクの痕跡を探す。

4 海岸にて

【左写真】
海岸に来るエルクを捜索中、先頭を行くコミネが何かを発見。 本誌の見開き扉写真に使われている写真を参照。 右奥に焼けた黒い大木が立っている。
それを立っている黒熊と見間違えたのだ。双眼鏡でそれを木と確認して、安心する。
常にビビり捲り。狩猟には逃げる獲物と来る獲物がある。逃げはエルクなどの鹿系。来るのは、黒熊、羆、クーガーなどは人間を食物と思っている方々。だから、怖いのである。ここでは動物も人間も獲物という立場で平等であります。

5 森へ

【写真左から】
先頭は地元ガイド。とにかく早足。斜面も藪もどこでも早い。飯柴大尉殿は平気で追走。だって、軍人歩兵ですもの。 コミネはどんどんと遅れていく。だって、一般人編集者ですもの。
この後、コミネは20mの斜面を滑落。骨折裂傷は無いが、ズボンが裂けて、下着がウンコ洩らしたように土泥で茶色に染まる。

6 大藪へ

【写真左から】
「何でそんな濃い藪に行くんだよ?」
「だって、エルクが移動してるから」
と無駄な英会話をガイドと交わすコミネ。
 エルクの群れを急速追撃開始。三時間歩いた後に全速で走るんですぜ。無理じゃん。
写真中 雨でずぶ濡れではない。全部、汗だ。
寒いと思っての厚着が原因。一日で3-4kg痩せた。ダイエットが目的ではないのだが…。

【写真右】
休息時はとにかく休む。口数が少なくなっていく。そんな奴から死んでいくのだ。

7 最後は敗残兵。

銃は肩に担ぎ、とにかく遅れないようにして歩く。下を向いているのは、捻挫しないための用心。足首、膝を痛めれば終わり。大自然の中で歩けなくなった動物から死んでいく。
さらに滑落時に水筒を紛失。戦場カメラマンの横田氏から分けて貰える水が全て。環境は砂漠を彷徨しているのと同じ。
発汗が酷く、脱水症寸前。脱水症は吐き気が来て、動きが鈍くなり、呂律が回らなくなると死ぬ。葉っぱについた水滴を舐め、降る雨を飲みながら歩いた。

8 痕跡

【写真左】
羆の足跡。ガイドによると、身長3m300kgの大物。10分前に通過とのこと。この後、全方位を警戒しながら移動となる。
遭遇しなくて、良かったが、近くにいた。

【写真右】
エルクの新しい糞。確認した後は、靴で踏んで人が見た痕跡を残す。
ウンコ踏み係は、勿論、コミネ。それは人間の匂いを消すテクでもあるのだ。

9 生還

車が見えると元気ハツラツ。
文明に帰還したと安心して、笑い顔。
さっきまでのかっこ悪さは気にしない。
生きて戻れれば最高の成果。まずは、自分の命が獲れていればいいのだ。
ランボーには勿論なれず。
「生きてもう一度戦える兵隊が最強の兵ですからね」と優しい言葉を飯柴大尉から頂いた。

10 付録 狩猟道具 鹿笛

【写真左】
鹿笛を吹くコミネ。
笛には、「こらっ!ワシや、喧嘩したんぞ」と雄に喧嘩売る笛と、
「まーんこしてぇー」と鳴く雌大鹿の音が出る二種類。

【写真右】 
市街地近くに屯するエルク。撃たれないと思っているので平和に暮らす。
喧嘩笛を吹くと、メスだけが振り向く。
その横の雄のエルクは無視している。
負けたのだ。
修行は一からやり直しだ。


THEEND


「テレビで数字というものを相手にすると、自分たちが面白いと思ったコントをやっても数字が取れなくて、例えば食べ物をやると数字が取れるという状況に、『どうなの?』って思うと思うんです。数字と面白さの比例について、みんないろいろ考えると思うんですね。その点、ラジオというのはものすごくストレートで、面白かったら面白いですってたくさんのメールやハガキが返ってくる。ライブなんですね。今、インターネットなんかの影響でラジオのファンがどんどんいなくなってるのが凄く寂しくって。でも、生放送のほうが絶対楽しいんですよ。やっぱり声で伝わるものの凄さってありますからね。あと、匂いとか温度とかもラジオでは伝わりますから。今、ラジオを離れて、普通に家で寝る前にラジオをつけるじゃないですか。こんな環境でみんな聞いてるのかと思って、なんかしみじみしますけどね」

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「岡村くんも僕も全部忘れちゃうんですよ(笑)。割とおじいちゃんに近いので、番組でも同じ話を何回もして『その話は前に聞きました』とかリスナーからハガキを貰ってましたけど。でも、本当に思い出がないんです。どんどん過ぎて、どんどん放って捨てていってたんですよ。ただ、放送なんてそういうものじゃないかって、ナイナイとやるたびにずっと思ってました。この瞬間を切り取って、どんどん捨てていくことの楽しさ。それは『めちゃイケ』みたいにどんどん作っていく楽しさとは全然違う、ラジオならではの楽しさだと思うんです。執着しないっていうのがいいんでしょうね。今この瞬間、このメンバーでこれをやれているということ。それが日々続いているだけで、執着すること自身には意義はないと僕は思ってましたね」

 神田のその「捨てていく」姿勢は、彼ならではのラジオ演出術みたいなものに基づいていた。と言いきっても、まあ、いいかもしれない。

「僕もリスナーと同じ立場で番組を聞きたいという思いが凄く強かったんです。ラジオのディレクターって、一番上手くいっている時は、最高のリスナーになれてる時だと思うんですね。例えば、『めちゃイケ』でこういうことをやってるんですって言っても、僕から裏話を聞くことは基本的になかったですし、岡村くんも僕にそういうことは一切言わない。だから僕は、ずっとリスナーと同じような気持ちでいれたんですよ」


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「それまでは昼の番組を担当してたんですけど、入社して3、4年経った時に、夜もやることになったんですね。で、オールナイトもやってみろという話になって。最初、松任谷由実さんとナインティナイン、どっちがやりたいって聞かれたんですけど、踊ったりキャーキャー言われたりしていて、天素(吉本印天然素材)があまり好きじゃなかったんですよ。だから、絶対にユーミンがやりたいという話を会社にしたところ、ではナインティナインをやってくださいと言われ(笑)、担当をすることになりました」

 その後、神田は福山雅治やaikoのオールナイトニッポンでもディレクターを務めるが、彼が演出したオールナイトニッポンのスタイルは、ナインティナインとのやりとりを通じてでき上がっていったものだという。

「ナイナイは大阪でもラジオをやってましたけど、大阪のラジオだと芸人さんがいて、そこに笑い役の女の子がいて、そのことによって明るい感じが伝わっていくんです。でも、オールナイトニッポンは、基本的にパーソナリティ以外の人をスタジオに入れないから、笑い役の女の子もいなくて、男ふたり全然楽しくなさそうなんですよ(笑)。

 それで最初にお願いしたのは、オープニングのフリートークですね。彼らは大阪のスタイルで、その時思いついたことを喋るのがラジオだと思っていたんです。でも、僕は1週間にあったおもしろいこととか、今気になることとかをきちんとトークの形で聞かせてくださいってお願いしたんですね。今で言う『すべらない話』と同じように。

 ラジオのパーソナリティって2種類いて、伊集院光くんみたいな人は、事前にスタッフにガンガン話して、ウケたものを放送に返していくんです。一方、ナイナイは一切スタッフに言わないで、新鮮な感じで話していくタイプだったので、事前にオチのキーワードだけ聞かせてもらって、それが話に出た瞬間にCMに行くと。そういう、割ときっちりやるスタイルを、2年くらいかけて少しずつ作っていきましたね」


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