社長がいちばん働きマン

“社長がいちばん働きマン”とは?

週刊モーニングの人気連載で連続ドラマにもなっている『働きマン』から、「週刊JIDAI」編集部の女性編集者・松方弘子がKINGに出張取材を敢行!
狙うは、KINGに登場する各界の社長さんたち!
“男スイッチ”が入った松方弘子はどんなネタを掴んでくるのか!?

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取材・文 / 方南ぐみ
撮影   / タネイチ

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「世界トップレベルのビジネスマンになる」
この思いは13歳の頃から変わっていない

「中学生の頃から34歳になる現在まで、考え方はブレてないですね」
今回のインタビューはそんな言葉から始まった。果たしてどれだけの人が、10代前半で将来の設計図を具体的に描けただろうか。もし描けたとして、その設計図が20年以上を経てなお現在進行形であり続けることは、ごく稀であろう。磯崎氏が中学生の頃から、20年間ブレずに抱き続けている思いとは「世界に通用するトップビジネスマンになる」ということだった。


「中学1年で初めて英語の教科書を開いたとき“あっ”と思った。漠然とですが、この言葉を自分のものにすれば世界中の人とコミュニケーションがとれる、そして、そんな世界で活躍したいと思ったんです。今思えばそれが、初めて世界を意識した瞬間だったのかもしれない」
そんな13歳の磯崎少年が、具体的な行動を起こすのはわずか3年後、16歳の頃。

ハコの事情が分かると
中に入れる物がどうあるべきか分かる


16歳で初海外にして初留学、英語なんてまったく話せないのに、いきなりアメリカへ飛び、現地の高校へ入学した。
「言葉も通じないし、友達もいない。今までで一番辛い時期だったかもしれません。でも、最初の1年は辛くても、次の年には慣れてラクになったし、3年目ともなれば、海外生活も日常になって、次第に次のステージが見えてきました」
大学を卒業し、帰国後は日本オラクルへ入社。主にCRM(顧客関係管理)のソリューションを立ち上げる業務に就いた彼は、4年目には部署の中でトップの売上げを誇るようになった。
「実績から言えば、部長に昇進させてほしいくらいだったんですけど(笑)、でも、入社4年の人間が部長になれるわけないですよね。じゃあもう次のステージに進もうと、会社を辞めました。16歳でアメリカへ渡ってちょうど10年の節目でもありましたし。10年間も勉強していればビジネスが回転していくイメージが自分の中に出来上がる。このイメージを実際に実行したらどうなるか、見てみたくなったんです」


《プロフィール》

いそざき・りょう
1973年、茨城県生まれ。
16歳で単身アメリカへ渡り、現地の高校に入学。
イリノイ大学卒業後、帰国、日本オラクルに入社。
4年間コンサルティングの業務に携わる。
2001年、独立し会社を設立。
ネットショップにてインテリアブランド「a.flat」を展開。
2004年にはインテリアショップ激戦区でもある、東京・目黒通り沿いに実店舗を構え、今年2月には、大阪・堀江店もオープンさせた。





インテリアブランド「a.flat」WEBサイトはこちら


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